「意識」は からだの外で
何をしているのか
スピ系です。
苦手な方は、お戻りになったほうがいいかもです。
・・・と言っても、戻りませんよね(笑)。
まあ、こんなことあるのかなぁ~くらいのセンで、どうぞ気楽にお読みください。
私もこれまで、スピリチュアルなものには、全く視線を向けませんでした。
ですが、故あって、下の図くらいの範囲で光を当て、観察していこうと思うようになりました。
これから私が視野に入れていこうとするスピ系の対象範囲
私が50歳まで、スピリチュアル、迷信の類を全く信じてこなかったのは、次のような理由からです。
もし仮に、神様がいると信じてしまった場合、イザというときに助けてもらえなかったら絶望に襲われるだろうとか、霊を信じてしまった場合、死んだ後に意識が残れなかったら悔しいだろうとか(残れなかったら悔しいことすら判らないんですが)、そういう、常に自分が落ち込まないよう、チマチマと予防接種しながら生きてきたので、スピリチュアルなものには人一倍距離をおいていたのです。
しかし、2014年の自分の誕生日に、18もの病気が見つかり、その後急坂を転げ落ちるように悪化して、病苦にのた打ち回るようになると、私の意識だか周囲の意識群だかが、緊急総がかりで私の心身を動かしました。
これがもう、信じる・信じないのレベルをはるかに超えた激烈なもので、自分でも馬鹿馬鹿しくなるほど、問答無用でそれらに引きずりまわされました。
「俺は本当に浮世に生きているのかー?」と思うほどの迷信大バーゲンの日々が1年間つづき、病が落ち着いた後は、私はある種、脱力しました。
「あー、全部つながってるんだ、特別なものではないんだ」
と気楽になり、周囲にも
「霊? 神サマ? 私らの意識と同じ普通のもんやでー」
とかなんとか、適当に軽々しく話しています。
それまでの私は、ライターの職業病なのか、
「書いたことを信じてもらえなかったらどうしよう」
という思いが結構あり、それゆえスピ系についても書かなかった、という側面が大きいです。
しかし、闘病後の今では、そういう「信じてもらわなきゃ感」はスコーンと抜け落ちてしまいました。
投げやりになったのではなく、視力回復後にこの分野を調べ始めたら、もう私の若い頃とは隔世の感・・・国内外のちゃんとした学界で、霊や超能力の研究はしっかりと進んでいました。
なので、別段私がシャカリキにならずとも、これは遠からず解明されるわー、と確信が持てて、以前のような「書く以上は信じてもらわなきゃ」という使命感みたいなものが無くなっちゃったのでした。
* * * *
・・・・あ、「遠からず」と書きましたが、これって結構、もう既にだいぶ解明されちゃってて、しかもこのネット情報時代ですから、「現象がどんどん露出してしまい、研究が後追いしている」ような状態ですらあります。
昔ながらの「霊能力者や超能力者を実験にかけてみたら、彼らが標榜する通りの結果が出なかった」という懐疑派の謂いは今も健在です。
これは、確かにそうなんです。
精神現象だからこそ、
「そこのコップをつかんで」
「ハイ」
・・・なんて物理的に成功するもんじゃないんですよね。
いくら研究が進んだとはいえ、「こうすれば霊が出てきます」というマニュアル作成まで至ってないですし(笑)。
私は、霊も超能力も「精神現象である」ということでもって「夢」と同じように考えたらいいと思っています。
例えば「飛ぶ夢」をよく見る人がいるとして、さらに夢の内容を観測する装置があるとして、でも、観測しても「夢を見ない」とか、「違う夢を見てしまう」とかの確率は結構あるわけです。
夢は孤独な精神現象ですから、他者に観測されていると意識しながら眠ったら、いつも通りの夢にならない可能性は高いです(これは霊や超能力実験と同じです)。
霊も、超能力も、死後に意識が残るかどうかも、「飛ぶ夢を見られるかどうか」程度の実現確率であって当然、という認識から始めないと、いつまでたっても日本では、この分野がオカルトのままです。
日本ではかつて、霊と超能力がTVで大ブームとなりました。
本物っぽい能力者は静かすぎてキャッチーではないため、お茶の間の期待の応える通俗的な「自称・能力者」ばかりがもてはやされました。
そして、彼らはTV局の悪習どおり、用が済んだら見事に干されたのですが、ここが俗流タレントの凄いところで、「自ら進んで懐疑派の実験に参加し、インチキを暴かれる」ことで起死回生を図ったのです。
「怪しいけど憎めないやつ」「むしろインチキ臭さが可愛い」というラインで彼らは返り咲き、その残党は数十年後の今もTVで、怪しさをウリにして面白がられています。
私は、こういう輩がまき散らした安手のオカルトイメージを日本から祓い去る一助になればと思い、共感覚的視座で捉えうるスピリチュアル現象をあえて肯定的に観測しています。
私の考え方の基本は、おおまかに言うと、以下のような感じです。
精神的に敏感な人が、共感覚者・霊媒・超能力者になりうる
乳幼児期には誰もが持っていたサーチ能力が、継続的な心身の被害・逆境・疎外感などの理由(※)で、成長後も残っているケースが、その様態別に共感覚・交霊・超能力と客観されている(※=これらの理由に当てはまらない人もいる)。
超能力は「意識を体外に出して仕事させている状態」
神や霊は「意識が体外に出ている状態」を自覚または観測したもの
共感覚者や霊媒などがそれを捉える。捉え方の違いによって、色、音、神、霊などさまざまな形で認識されるが、大元は同じものをキャッチしている。
誰もが成人後も、大なり小なり、そうした力を持ち、無意識に吉運を探ったり、
危機回避をしたりしている
・・・これらのことは、私が言うまでもなく、洋の東西、多くの人々が、昔から薄々感じていたことでしょう。
▼凶事回避・吉運への誘導
▼自分の意識が単独で目的地のよしあしを判断しているのではない
(例えば物理的な建築安全度などを測れるわけではない)。
そのスポットに向けられた意識群の内容をサーチしている
上のような現象がきわめてあからさまに、何十回も起きたわけですが、
しかし性格の悪い私は、それでもなお意識の力を信じませんでした。
だって、これって目に見えませんものね。でも、こんなことやって
七転八倒してるうち、ついにはっきりと「見えてしまった」のでした。
以下に記します。
懐疑派の私をぶちのめし、「これはどうしても有るわー」と観念させた体験
全く目を開けられない状態で、「意識」は精一杯、危機回避に足るサーチ ⇒ ビジョン化を行なった
全盲の人が、一応白杖(はくじょう)はついているものの、見えているのではないかと思うほど的確に歩いている光景を、しばしばみかけます。
人々の共感覚的な力が今より強かった明治時代までは、杖をわざと肩にかついで、「♪あいた目で見て気をもむよりも、いっそめくらが楽でよい~」と鼻歌を歌いながら歩く盲人もいたそうです。
当時の彼らは「心眼で見るから大丈夫」と言っていました。
心眼とは文字通り、精神で周囲を見ることです。
現代の盲人が自らの心眼を語ったものとして、
「健常人でも背後にどんな家具がどんな具合に配置されてるかが“勘”で分かるでしょう、あんな感じなのですよ」というのがあります。
なるほどと思います。
しかし、やはりそれはどこまでいっても「勘」であり、ここで述べる心眼とは違います。
昔の盲人は、照明やバリアフリーが発達していなかったぶん、「勘」とは違う感覚で周囲の状況を、共感覚的にサーチしていたのではないでしょうか(健常者さえ「生き馬の目を抜く」と注意喚起したほどに
喧騒きわまる江戸の町を、盲人が勘だけで、鼻歌まじりで歩けたとは考えにくいのです)。
そして、身に危険が迫った時には、心眼=共感覚的サーチ以上に、危機回避に充分足りる映像を「見ることができていた」ように思います。
江戸落語に「心眼」というのがある(意識サーチがテーマの噺ではないが)。
障碍を罵られた全盲芸人の意趣返しのために大物の噺家が創作した作品で、「目が見えないほうが気楽でいいさ」という内容。放送禁止語が入るため現在は上演されない。昔の上演がyoutubeでかろうじて聴ける